Profile
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愛飲酒多飲
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132,651
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5,057,454
Joined:
May 05, 2008
700タイトルUPを達成することができました。
これも、視聴して下さり、色々なコメントを寄せて
下さった皆様のおかげです。有難う御座いました。
まだまだ「昭和」を沢山ご紹介していく予定です。
どうぞ皆様、当チャンネルを宜敷お願い致します。
2010年1月30日
★☆===================☆★
Welcome to the R2Radios YouTube Channel
. R2Radio のYouTubeチャンネルへようこそ
★☆===================☆★
Super High Quality Video ・・・・・ JOKE . JOKE ??
ジェ~・オ~・ケ~・イ~ こちらは望郷放送局であります
当局は、主に「昭和の歌謡曲」を再放送しています
往年のスター歌手の「貴重な映像」と出会えるかも
(注)上記のコールサインJOKEはジョークです
これは、東京放送局仮放送のパロディーです
実在する放送局とは全く無関係です念のため
.
これも、視聴して下さり、色々なコメントを寄せて
下さった皆様のおかげです。有難う御座いました。
まだまだ「昭和」を沢山ご紹介していく予定です。
どうぞ皆様、当チャンネルを宜敷お願い致します。
2010年1月30日
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Super High Quality Video ・・・・・ JOKE . JOKE ??
ジェ~・オ~・ケ~・イ~ こちらは望郷放送局であります
当局は、主に「昭和の歌謡曲」を再放送しています
往年のスター歌手の「貴重な映像」と出会えるかも
(注)上記のコールサインJOKEはジョークです
これは、東京放送局仮放送のパロディーです
実在する放送局とは全く無関係です念のため
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About Me:
真空管ラジオで歌謡曲を聴いて育った世代であり、
情報通信関係の技術屋で、品質にこだわってます。
近年の歌には小生の好みとのギャップを感じます。
それは、音響効果や録音技術で繕い、誤魔化された
(機械音化された)偽物が多いと思うからであり、
「実力本位・真剣勝負」に魅力を感じるからです。
こんな頑固オヤジですが、宜敷お願いいたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
案内事項:
知り得る情報を総動員して、UPした歌や歌手等の
説明文についても充実させていこうと思ってます。
掲載する情報の出典について、大部分は芸能関係の
書籍ですが、多岐にわたるため明示いたしません。
何かありましたら、「コメント」をお寄せ下さい。
ご要望には可能な限りお応えする所存であります。
なお、返信はできかねます。何卒ご了承ください。
お時間とご興味があれば、下記文もお読み下さい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なんじゃ~こりゃあ~(松田優作のような叫び声)
こんな文字の多いチャンネルは見たことがねえぞ~
グダグダとウナギの寝床か金魚のフンみて~だな~
どうも どうも どうも(高橋圭三のような笑声)
予め弁解しておきますが、マニアックな内容です。
とは言うものの、気楽に読んでみて下さいね~ !!!
.
Hometown:
銀河系の遙か辺境にある カトウイイン で出生
Country:
Japan
Occupation:
engineer
Hobbies:
学生時代から「電子工作」が大好きだった。無線機やテレビ受像機等、何でも自作した。小学5年の時、真空管ラジオ(並三)を組み立て、ダイヤルを回して歌が流れてきた時は感動した。兄の指導は受けたものの、自分の手で作り上げたラジオが完動したことが、とにかく嬉しかった。この時、母に褒められた嬉しさも忘れられない。「人は褒められて育つ」と言われているとおり、実体験の感激が小生の後輩指導の基盤となったのであった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~小学5年6年の時、担任は理系の方だった。この先生の授業は脱線するので有名だった。とにかく話題(知識)が豊富であり、短時間でも多彩な事柄を織り交ぜ面白く話されるのである。途中で話が横道に逸れていっても、最後は軌道を修正して、時間ぴたりに終わる超人技であった。小生は、この名教師の影響を多分に受けており、社内教育において、同スタンスを模倣している。おっとと、小生も脱線したので、趣味の話題に戻しましょう。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~竹竿アンテナを建てて、短波放送もよく聴いた。受信機は、自作オートダイン(再生式)である。当時は、真夜中に遠方の外国放送を聴いていた。そして、大方のラジオ少年と同じ道を歩き出す。アマチュア無線に熱中し、無線機の製作や改造に明け暮れて、母に「早く寝なさい」と叱られた。盆踊り大会用の拡声アンプも頼まれて製作した。当時、気軽にラジオやテレビ等を修理する学生と重宝がられていたが、町内の電器屋は渋い顔だった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~学校では「真空管」や「トランジスタ」を学び、情報通信関係の技術屋になったのがウン十年前。技術革新の荒波を「日々精進」の精神で乗り越えていたが、「マイクロプロセッサ」の出現は、産業界を激変させる正に歴史的な一大事だった。小生も8ビットのチップで自作したが、最近ではマザーボード等が販売され、自作のやり方も変わった。自分で回路を考案し、個別部品を半田付けして、音楽用テープにデータ記録した時代が懐かしい。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~テープの話題が出たので、脱線してVCRの話。回転ヘッドで斜めに高密度記録する発想は凄い。初めて買ったVHS方式VCRは約30万円で、ノーマルの2時間テープが約5千円と高かった。その後も30万円前後の高級機を度々購入して、家内に呆れられながらも、画質を追求していた。好きな映画や音楽番組を片っ端から録画したが、度重なる引っ越しで、今となって貴重なテープを捨ててしまった決断を悔やむ今日この頃である。再放送されない番組集、正に断腸の思いである。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~磁気記録の話として、ハードディスクの思い出。保守業務で初めて取り扱ったハードディスクは、容量が10MB程度で「座布団」位デカかった。その当時は「固定ディスク」と呼んでいたっけ。スピンドルモータをインバーター制御しており、回転数が安定するまで使えない代物だったなあ。未だ、テレタイプ(印刷電信機)が現用されていた昭和50年頃の話である。今は、なんと1TBが1万円程で手に入るし、居ながらにして、インターネットが世界を結び、あらゆる情報が簡単に手に入る世の中になった。夢のようである。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~便利になることは、「進歩」として前向きに捉えたいと思うが、パソコンや電卓の功罪と言うか、最近、漢字を忘れたり暗算が苦手になってきた。もう一つ、プラモデル世代と言うと失礼かもしれないが、不器用な新入社員が増えていることに、教育担当として、頭を悩ませている昨今である。小刀で鉛筆が削れない子供が増えたと言われる。それは、小刀が危険という理由で親が与えないからであるという。過保護は子供の成長を阻害させる。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Movies:
映画では「SF物」が好きである。物語や演技もさることながら、特殊撮影技術にも興味があり、イジワルな粗(あら)探しもする。最近のコンピュータを駆使した映像も素晴らしいが、円谷監督がやっていた特撮映画や、懐かしい「サンダーバード」等も良くできていたと思う。テレビ普及期、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」等の実写版を放映していたが、当時の制作者の苦労(制作費も乏しかったのでは?)が偲ばれる。アニメの世界は、「ディズニー」が先駆者であるが、漫画大国「日本アニメ」の技術進歩に期待している。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~さて、ここでは「テレビ」の話題を盛り込みたいと思う。懐メロ番組「なつかしの歌声」は、楽しみにしていた番組の一つであった。「なつかしの歌」でなく「なつかしの歌声」というところが重要であり、オリジナル歌手が歌うのが良かった。録画機材が無かったのが残念だ。テレビのカラー放送は、昭和30年代に開始されていたが、受像機が高価であり高嶺の花だった。カラーテレビが一般家庭に普及したのは、東京オリンピック以降の事だったと思う。東京五輪で日本は一変した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~歌番組を語る場合、「NHK紅白歌合戦」を忘れてはいけないだろう。紅白のルーツは、敗戦直後にさかのぼる。「合戦(バトル)」という初案はNGで、「試合(マッチ)」と称してGHQからOKが出たという時代のことだった。そして、何とこの音楽試合では、一世を風靡した童謡姉妹の一人である、川田正子も歌っている。紅白がテレビの電波に乗って、全国のお茶の間に届けられるようになると、最盛期には何と視聴率80%以上という驚異的な数値をたたき出したのであった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~テレビの普及により映画は斜陽化の道を辿った。小生が住んでいた所は、映画館が沢山あったが、昭和40年頃になると次々と閉館してしまった。かつて、映画が当たると映画の主題歌や挿入歌も流行するといった流れがあったが、誠に残念だ。しかしながら、テレビの普及は、歌手に新たなる活動の場を提供した。前述の「なつかしの歌声」の成功に刺激を受けたのか、各局が歌謡曲番組を制作し、昭和後期は、「歌謡曲黄金時代」であった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~我が家のテレビは、家具調のキャビネットに収納されており、ブラウン管の前は仏壇のような観音開きの扉を開けるような構造になっていた。扉が付いていない普及品の場合は、ブラウン管の前に垂れ幕がついているというタイプもあった。林家三平の家では、家族全員がテレビの前で正座し、三平が出演する番組を観ていたそうである。応接室や床の間に鎮座していた「テレビ様」も、一家に一台から一人に一台へと増加していった。真空管式からトランジスタ式に変わった時には、電源を入れて直ぐに観られるのが新鮮であった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~初期のテレビは、ダイヤルを回してチャンネルを変える、ロータリー(ターレット)方式だった。リモコンが登場した頃は、リモコンとテレビ間がワイヤーで繋がっていたので、「ヒモコン」などと呼んだりしたが、暫くしてワイヤレスとなった。ワイヤレス方式は、三洋のズバコンが面白かった。懐中電灯のような形状のリモコンをテレビに向け操作すると、チャンネルがガチャガチャ音を立て切り替わるという、妙に人間的な代物であった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Music:
かつて「歌謡曲」は、日本のポピュラー音楽の大半を占めていたが、昨今ではテレビの歌番組も激減してしまい、淋しい限りである。民放ラジオが開局の頃、浪花節が「浪曲」と呼び名を変え、イメージ一新を狙ったのにも関わらず衰退してしまったが、「歌謡曲」も同じ運命を辿るのであろうか。CD店では、「Jポップ」等といった表示が多くなって、たとえ「歌謡曲」のコーナーがあったとしても、店の隅に追いやられている感が否めず、ファンとして残念だ。歌謡曲よ永遠であれ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「演歌」という言葉は、もともと大正時代の自由民権運動の壮士が歌った政治色の濃い歌を指していたが、昭和の時代に都会調・日本調・浪曲調等と形容されてきた少々大人向けの音楽が、次第に1ジャンルのように見なされて、1960年代末に「演歌」と呼ばれるようになった。すなわち、この頃から恋愛や一種の人生論等「日本人の心を歌う」音楽の呼称として使われるようになったのである。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~1950年代半ば、米国でロックンロールが社会現象化し、プレスリーが爆発的人気を呼ぶ。日本では、映画「太陽の季節」「狂った果実」で大人社会に反発する大学生を演じた石原裕次郎が人気スターとなり、その後に出現した「太陽族」と呼ばれる若者達がロカビリーに熱狂した。1958年2月、有楽町の日劇にて、第1回ウエスタン・カーニバルが大盛況に開催され、平尾昌章、山下敬二郎、ミッキー・カーチス達が舞台せましと激しく動き回って歌うと、興奮した女性ファン達が紙テープやトイレット・ペーパーやパンティ(これ実話ですよ)を投げつけたのだった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~話題が歌謡曲から遠ざかって恐縮であるが、楽器編成の面で、50年代のロックンロールと60年代のビートルズ等のロックとを繋ぐパイプ役を果たしたのがベンチャーズと言えるのではないだろうか。パイプで思い出したが、「パイプライン」の冒頭にて鳴り響く、トレモロ・グリッサンド奏法によるテケテケテケというサウンドに小生は今もシビレる。当時、エレキは不良の原因とされ社会問題になったが、エレキ・ブームは、アマチュア・ミュージシャンを大量に生み出す役割を果たしたとも言え、音楽の大衆化の道を拓いた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ベンチャーズを信奉する一面を持った筆者でも、1970年代に登場した「ニューミュージック」を「歌謡曲」と呼ぶことに少々抵抗を感じる。価値観には「個人差」があることを承知してはいるが、小生は、「起承転結」がしっかりとしたストーリー性のある歌詞に美しいメロディーと美しい歌声が大好きだ。この感覚は、小生だけではないと思われる。何れにせよ、歌謡曲は元々娯楽を目的として作られた「商業音楽」である。しかし、精緻な工芸品に匹敵するような味わいの深い曲が沢山あり、「日本人の心の歌」として、末長く存続して欲しいと切実に願う次第である。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ニューミュージックは、従来の歌謡曲に対して「歌の定型の破壊(拡大と言うべきか)」という影響を与えた。これにより、メロディの幅や歌詞として使われる言葉の範囲等の、作り手の自由度が飛躍的に拡大したのは喜ぶべきことである。歌謡曲といえば、戦前からヨナ抜き短音階(ラシドミファ)を中心としたメロディが多く、「涙」や「未練」という決まり文句が出てくる歌詞が多かったので、これは歌謡曲の成長であると理解している。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「歌は世につれ、世は歌につれ」という平凡な言葉を引くまでもなく、喜びにつけ悲しみにつけ、我々が歩んできた道には、我々自身の心のBGMが常に流れていた。その時々の歌には、歌を聞いた当事者一人一人にとってそれぞれ忘れられない色々な思い出が宿っていることであろう。当チャンネルが少しでも「皆様の心の癒し」に役立てば幸いである。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Books:
幼少の頃から手先が器用で、模型飛行機の製作が得意だった。誕生日に買ってもらった図鑑に掲載されていた真空管ラジオを孤軍奮闘して作り上げ、完動した時の喜びが我が進路を固めた。この図鑑から、色々なことを学ぶことができた。モールス符号は直ぐ覚えて、通信に興味をもった。「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」という月刊雑誌がバイブルで、小遣いの工面には苦労した。折れた金鋸を小刀に加工したり工具も工夫して作った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~小学校の卒業文集で「発明家になりたい」という夢を書いた。中学生の時に、アマチュア無線の存在を知り、諸先輩にお世話になる。高校生の頃は、内外の技術雑誌や工学図書を貪るように読み漁って趣味に没頭し、学校の勉強はオザナリだった。プロの無線通信士になろうと考え、無線学校に入り無線従事者の免許を取得したが、就職の段階で船に乗ると言ったら母に大反対されてしまった。結局、技術屋になって趣味と実益を両立している。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~技術に関連した「ノンフィクション」も好きだ。例えば、ある発明や発見があった場合、どのような過程で結果に辿り着いたかが興味津々である。「温故知新」とは、歴史に学ぶことなりと理解する。中学生の頃、リヤカーを引っ張って廃品回収の手伝いをしながら、壊れたラジオ等をもらって自分の研究材料としていた。よく古本屋へも通った。しかし、半導体で高密度化された最近の電子機器は、アマチュアが修理する余地が乏しくなった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~転勤等で引っ越す度、JUNK(ガラクタ)と本を詰め込んだ段ボール箱の数が増加し、自分の部屋は倉庫的魔窟と化して、最後には大型トラックに積み切れない事態となった。大量な録画テープより書籍を優先させたために、前述した悔いを生んだ。映画も含め録画テープは、約2千本あったはず。(購入したビデオソフトの数は含めていません)ビデオカセットのデカさが、我が判断を誤らせた。現有すればUPできたのに残念でならない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~自慢話をするようで恐縮であるが、書籍について小生は雑誌でも気に入ったものは創刊号から収集して読破する傾向があった。また、先にJUNKと書いたが、電子工作や無線の趣味である故に、商売ができる位に無線機や測定器や工作機材等を所有していることが、テープ処分の一因となった。引っ越しする度に、荷物を運ぶ引っ越し業者の方から「お宅の荷物は多いし重いね~」と言われた。家内や子供の所有物も膨大な量だったのである。物を大切にして捨てない貧乏性は父親ゆずりの「我が家の伝統」である。昔は水田だった土地にパイル(コンクリート棒)を何10本も打ち込んで地盤改良し、強固な設計のマイホームに落ち着いたが、大地震が気になる。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~歌に関する話題がナオザリになってしまったが、昭和30年代の頃は、平凡や明星といった雑誌の付録に「歌の小冊子」があり、興味深く読んだ。それなりに楽譜が掲載された曲もあり、歌詞を口ずさんだり、ハーモニカで吹奏したりした。この歌本は、歌謡曲好きな小生の宝物であった。最近では、雑学の本をよく読む。「何でも知ることは良い」「犯罪以外は何でもやってみるが良い」「可能性は無限にある」というのが小生の信条である。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~冒頭で、テレビ受像機(1チャンネル専用)を自作したと書いたが、それは高校生の時であった。もちろん、寄せ集め部品による独自設計である。今更ながら、チャレンジ精神が旺盛だったのだと自分でも思う。(欠乏時代に育ったことに感謝)粗大ゴミの山を見ると「何か活用できる物は」と物色をする悪癖は死んでも完治しないのではと思われる。我が家の自室は、現在も魔窟状態となっている。以上、偏屈オヤジの戯言にお付き合い頂きまして、誠に有難う御座いました。放言多謝。































応援有難う御座います。
昭和のTVは、かなり懐かしく拝見しました、UP有難う御座いま
最後のステージは、1995年(平成7年)12月31日です。
「平成6年」と書かれましたので、失礼かと思いましたが、コメン